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2018.03.26 Whats VOLVO
ボルボブランドの歴史
COTYが主催する2017-2018年度日本カー・オブ・ザ・イヤーにボルボ XC60が選出され、今再び注目を集めているボルボです。いつの時代でも世界最高水準の安全性を追求してきたボルボはどのような歴史を持つ企業なのでしょうか。
ボルボ・グループ時代(1927~1999年)
1927年、スウェーデンの世界的ベアリングメーカー・SKF社の販売部長アッサル・ガブリエルソンとSKF社のエンジニアであったグスタフ・ラーソンの手により、ボルボが創設されます。自動車販売を主要業務とするボルボを中心に、現在の多国籍企業、ボルボ・グループが形成されていきます。ボルボ社の量産車第1号は2ドアオープン5シーターの「ÖV4」で、「Jakob(ヤコブ)」の通称で愛されました。1944年、2ドアサルーンの「PV444」を発表しました。同車はボルボ社初の小型車であり、モノコックボディ採用第1号でした。ウインドスクリーンには当時としては画期的なラミネート加工を施し、ガラスの破損リスクを抑え安全性を向上させています。ボルボ車第1号の「ÖV4」と同じく4,800クローナと魅力的な価格設定もあり、世界中で大ヒット。生産予定台数は8,000台でしたが、実際には20万台が生産され、ボルボ社の生産体制を本格化させたきっかけになりました。PV444は信頼性と耐久性が高く評価され、ボルボ社創業以来の理念である「世界一安全なファミリーカー」と世界が認めた1台と言われています。 1958年、PV444が事実上のモデルチェンジを受けPV544が発売されました。翌1959年には世界で初めて3点式シートベルトを搭載しました。特許を取得するほどの発明でしたが、ボルボ社はこの特許を無償公開し、世界中に3点式シートベルトが普及していきました。 1966年にはその後の量販車種となるボルボ 144が発売されます。デザインは従来の曲線基調から直線基調へと変更され、ボンネットとリアトランクにはクラッシャブルゾーンの概念が盛り込まれました。また、前後席にシートベルトが標準装備され、当時最先端の安全性能を備えていました。 1974年には240/260シリーズが登場します。デザインは144を踏襲しつつも、メカニズムは近代的なものに刷新され、フロントサスペンションにはマクファーソン式ストラット、エンジンはOHVからOHCへと進化します。非常に厳しい安全基準で製造された240/260シリーズは米国当局により、安全開発の標準車両として使用されました。 1982年には760シリーズが登場。改良進化形として1984年に740シリーズが登場します。740/760シリーズの登場により、ボルボは快適性、高性能、安全性を兼ね備えた高級車を製造できるメーカーへと成長しました。1990年には後継車の940/960シリーズに発展、1997年にはマイナーチェンジを機に960セダンはS90、960エステートはV90へと改称。1998年に生産を終了し、系譜が途絶えます。 1991年に登場した850シリーズは、従来のボルボ車の系統を引き継ぐことなく全く新規に開発された新世代ボルボ車です。安全装備では新しくSIPS(側面衝撃吸収システム)と自動調節式フロントシートベルト機構を採用。事故で受ける衝撃から乗員を守るパッシブセーフティー機能が装備されました。850エステートは日本では高い人気を獲得します。90年代の日本のステーションワゴンブームの牽引役となり、スバル レガシィツーリングワゴン、日産 ステージアなどのフォロワーを生み出しました。 850シリーズは1996年に生産を終了します。後継車は850セダンがS70、850エステートがV70です。 1998年には後方からの追突時に衝撃をいなして乗員をむちうち症のリスクから守るWHIPS(後部衝撃吸収リクライニング機構付フロントシート)及びインフレータブル・カーテン(頭部側面衝撃吸収エアバッグ)を発表し、パッシブセーフティーを一層向上させました。
フォードグループ時代(1999~2010年)
従来、ボルボ車を製造していた組織はボルボ・グループの乗用車部門でした。しかし1990年台後半には不採算部門に転落しており、米・フォード社に68億ドルで売却されました。これを機にボルボ・カー・コーポレーション(通称:ボルボ・カーズ)として、ボルボ・グループから独立し、フォードグループのプレミアムカー部門の1員となります。 フォードからは設計陣の総入れ替えやフォードグループのエンジン、シャーシを使用することを余儀なくされました。しかしボルボのアイデンティティである人間を中心に置いた安全設計という軸はぶらさずに追求し続けたのです。 2002年にROPS(横転保護システム)、2003年にBLIS(ブラインドスポット・インフォメーション・システム)、2008年には低速用追突回避・軽減オートブレーキ・システムを次々と発表。2000年代には夢の技術であった自動運転の礎となる技術が開発されています。
ジーリーホールディンググループ時代(2010年~)
2010年、フォードはボルボ・カー・コーポレーションの全ての権利を中国の浙江吉利控股集団に18億ドルで売却しました。フォードグループから離脱することで、ボルボ独自の新世代エンジンやシャーシが開発されることとなりました。 新世代パワートレーン「Drive-E」は2.0L以下・4気筒以下・ガソリンとディーゼルで共有できる構造・ハイブリッドやPHEVなどの電動化に対応を基本コンセプトに開発されています。高級車に対応する高出力エンジンは、エンジン本体を変更せず過給器など周辺チューンで実現しています。 新世代のシャーシは電動化や自動運転に対応できるよう、モジュール設計が取り入れられています。Eセグメント以上の大型車に対応するSPA(Scalable Product Architecture)とDセグメント以下の小型車に対応するCMA(Compact Modular Architecture)があり、どちらも設計思想は同じで、違いはサイズや強度、重量などとなっています。 安全装備では2010年に歩行者検知機能付追突回避・軽減フルオートブレーキ・システム、2014年にはランオフロード・プロテクション(道路逸脱事故時保護機能)を発表。さらに運転支援機能の総合的アプローチであるインテリセーフへと発展し、現在販売中の全ボルボ車に標準装備されています。これら自社開発技術により、現行のボルボ車は世界中で再び人気を獲得しています。COTYにボルボ XC60が選出されたのは、その1例です。そして2017年12月27日、ボルボ・カー・コーポレーションを子会社化した浙江吉利控股集団は、ボルボ・グループの筆頭株主となることで、スウェーデンの投資会社と合意しました。ボルボ・グループから独立して18年。ボルボ・カー・コーポレーションは再び、ボルボ・グループと同じ株主の元、経済活動を行っています。
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