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名車、ボルボ850を振り返る。
1991年、ボルボは240シリーズの後継車種として850GLTを発表します。スウェーデンで当時最高の投資の下で産み出された850シリーズは、革新的と表現しても差し支えないほど、まったく新しいクルマでした。
セールスはもちろん、レースの世界においても活躍した850シリーズは、どんなクルマだったのでしょうか、振り返ってみることにしましょう。
■ ボルボ850とは?スペックや誕生の経緯
「4つの世界初を備えたダイナミックなクルマ」というキャッチコピーとともに販売が開始された850には、”横置き直列5気筒エンジン”、”独自のデルタリンクリアアクスル”、”サイドインパクト・プロテクション・システム(SIPS構造)”、”自動調節式フロントシートベルト”という世界初の機構が搭載されたほか、駆動方式がFFとなったこともトピックでした。
開発がスタートしたのは1978年のこと。当時のボルボとオランダ企業のボルボ・カーズB.V(後のネッドカー)が、新しいクルマの基礎となるテクノロジーの共同開発を計画した”ギャラクシープロジェクト”により850は産み出されました。(ボルボ・カーズB.Vは400シリーズを開発)
エクステリアデザインは、それまでの700シリーズによく似たものでしたが、FFの駆動方式をはじめあらゆる面が新設計でした。
■バリエーションの拡充。そしてレースへの回帰
850シリーズを成功に導く要因となったのは、1993年の2月に発表されたエステートの存在です。Dピラー全体にかかる縦長のテールライトが特徴的はエクステリアデザインが評価され、イタリアの「最も美しいエステート」賞や、日本の「1994年グッドデザイン大賞」など輝かしい賞を受賞しました。
850エステートは、1990年代に日本で起こったステーションワゴンブームの火付け役になったことでも記憶されています。1994年、それまでのボルボのイメージを覆すハイパフォーマンスモデルがジュネーブ ショーで公開されました。それが、専用色の美しいクリームイエローをまとったT-5Rです。
このT-5Rは、セダンとエステートあわせて世界限定2,500台を予定したスペシャルなモデルで、特別なチューニングを施されたターボエンジンは、240psの最高出力と330Nmの最大トルクを発生。専用の足回りに17インチアルミホイール、エクステリアには、角型のエキゾーストパイプや専用デザインのスポイラーなどが装備されていました。
1995年に発売されたクリームイエローのT-5Rは数週間のうちに完売してしまい、ブラックのT-5Rを2,500台追加。さらにダーク グリーンのT-5Rが2,500台追加生産。現在でもマニアの間で人気の高い1台です。
この1994年には、もうひとつ注目すべきトピックがありました。それはレーストラックへのカムバックでした。
トム ウォーキング ショー レーシング(TWR)をパートナーとして迎え入れ、ドライバーにはスウェーデン人ドライバーのリカルド ・リデルとオランダ人ドライバーのヤン・ラマースを起用。当時、世界的にも注目されていたイギリスのツーリングカーレース”BTCC”に、2台の850レーシングカーを投入したのです。
その復帰レースで使われたのが850エステートで、240シリーズ以来の「空飛ぶレンガ」は、多くの関係者やレースファンの注目を集めました。
1995年にはレギュレーションの変更により、サルーンのみのエントリーとなりますが、リカルド・リデル選手は、総合で3位の成績を収めることに成功しました。
リアオーバーハングの重いエステートでレースに出場するという画期的なアイデアは、いまだに語り継がれるほど、人々にインパクトを残す結果となりました。
この850シリーズは、ほかにも1995年にサイドエアバックを搭載(量産車では世界初)、翌1996年にはAWDの追加など、ボルボにとってもエポックなクルマでした。この850シリーズは、1997年の大幅改良によってS70とV70へと名称を変更。その結果、850シリーズに端を発するモデルは、累計で約136万台が製造されました。
日本では、この850シリーズの成功によって、一定のマーケットを獲得。現在のボルボの好調な販売につながっています。